風鳴舎

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発達障がい?特別支援教育って何だろう?[第5話]

コミュニケーションにおける適当力

コミュニケーションにおける適当力

 コミュニケーションは、簡単に言うと「分かる」(受容のコミュニケーション)と「伝える」(表出のコミュニケーション)から成り立っています。私たちは、この2つを使って上手にやりとりしています。
 しかし、相手の伝えようとしていることを全部分かっている訳ではありませんし、伝えたいことが全て伝わっている訳ではありません。分からないことや伝わらないことがあるのは当然です。だいたい分かる、だいたい伝わったということで、やりとりが成立してるのです。

 適当という言葉には、あまり良いイメージがありませんが、ハンドルの「遊び」のような適当さというのはとても大切です。「遊び」には、どうにでも解釈される可能性や、どうにでも解釈できる可能性が秘められています。この適当さの力が弱いとコミュニケーションする上で辛いことになります。

 「分かる」かどうかは、伝える側が分かるように伝えているかということに関係しています。宇宙人が我々に必死で伝えても、宇宙語が分からない我々には何のことか分かりません。地球の言葉に直して伝えてくれれば少しは分かるでしょう。翻訳機がいるのです。
 同様に発達障がいの人たちは、適当さの力が弱かったり、概念としての言葉が分からないため、絵や文字、実物などの分かりやすくする何かが必要な場合が多いようです。

 また、「伝える」ことができるかどうかは、伝えたい内容があり、伝えたい人がいて、伝えるスキルがあるということにかかっています。先ほどの宇宙人は、伝えたい内容と伝えたい相手(地球人)はいたのですが、伝わるように伝えるスキルがありませんでした。

 言葉とは存在する物にはりつけられている記号としての言葉(例えば、メガネ、パソコン、机、コップ、リンゴ等々)もあれば、物としては存在せず、言葉があることによって概念が生まれるという言葉(例えば、やさしい、うつくしい、いやだ、ない、等々)があります。話言葉は、後者が圧倒的に多いのに気づきます。(圧倒的、多い、気づく、なども概念だけの言葉です)見えるものは分かりやすいのですが、見えないものは頭の中で思い描くだけですから分かりにくいのです。

想像する力が必要ということです。前述のとおり、この力が弱いと言葉の裏側の意味が分かりにくいのです。「お母さんいますか?」とたずねられたら、お母さんにかわってください、という意味ですが、それが分からずに「はい」と言ったままお母さんにはかわらない方がいます。想像する力とコミュニケーションにおける適当さは通じています。適当であるためには、鋭い観察力や想像力が必要なのです。

 人はみんな自分だけの物差しをもって様々な事柄を解釈していますが、同時に、自分の考え方は人からみたらどうだろう?と考えることができます。一歩引いて自分を省みる力です。この力によって意見の異なる人との間でコミュニケーションをうまく機能させることができます。困難に出会った時にどうすれば解決できるか、と考える力も同じです。今の状況や自分をモニタリングする力が必要なのです。

 自分の物差しだけで押し切ろうとすると様々な場面で無理が生じます。前述のように言葉を額面通りに解釈したり、想像することが難しいために自分なりの解釈をしてしまったりすることで失敗をしがちな方がいます。サッカーでボールが来なかったら「みんながわざとボールを回さないようにしている」と解釈してしまいます。授業で先生が「わかる人?」と言ったことに対して手を挙げたのに、あててもらえずに腹を立ててしまいます。そのような方には、ふるまい方を知らせることが大切です。悪気があってそうしている訳ではありません。「では、どう振る舞えば良いのか?」という具体的な事柄を知らせるのです。 

 例えば、サッカーのボールが来ないで腹を立てる例では、サッカーはボールを誰かに回すことではなくチームが勝つために行っていること、点を入れるために自分には何ができるか考え行動することが大切であることを具体的に伝えます。授業中に手を挙げてもあてられず怒ってしまう場合には、先生は自分だけでなくクラスのみんなに「わかる人?」と言ったこと、手を挙げた人が何人かいる場合には、あてられないこともあること、あててもらえなくても解答が分かっていることは伝わっていることなどを文字や絵で伝えます。

 キャロル・グレイという方が考案したソーシャルストーリーやコミック会話が参考になります。本も出ていますし、フロムアビレッジというところが研修を行っています。

2016.8.23 更新

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