足るを知りすぎた30代の雑感(塩出真央)

足るを知りすぎた30代の雑感(塩出真央)

自慢じゃないけど瀬戸大橋をざっと500回は渡った僕。30歳代になったいま、その経験を振り返ってみたいと思う。

既に書いたように、
瀬戸大橋の渡橋は、僕にとっては大学への扉でもあったわけだけど、1日4時間の移動はもはや生活そのものだった。

朝の通学の車内で、昼ごはんを考えはじめるのがちょうど瀬戸大橋の上あたりだった。学食に行く時間帯を決めて、ご飯(どんぶり)の大きさやデザートをどうするかなどを考えたものだった。
500食、毎回丁寧に考えたかと思うとなかなか感慨深いものがあるが、
そんなふうに渡橋を楽しめていた僕。そんな自分が結構…嫌いじゃない。

とはいえ、車いすをつかっていると、橋が外され扉が閉ざされることもあったから閉ざされそうな扉には近づかない、なるたけ傷つかない無難な選択に逃げる僕もいた。
そんな中、瀬戸大橋と朝凪特急はいつでも僕に開かれていて、そこでの時間は様々な局面で栄養となり、挑戦を後押ししてくれていた。

そこで今回は、渡橋の記憶を振り返り、僕なりの30代の地平を詩にしてみたいと思います。

以下の「朝凪特急」では、大学に行くのが嬉しかったころを切り取りました。1時限目の講義を絶対欠席したくなくて、寝坊した朝には、電車に間に合わせるために母の車で送ってもらうこともありました。講義の際も、睡魔に襲われて聞き漏らしてはならないと考えるほどで、朝の通学では、眠りにつくことが大事なルーティーンの一つでした(笑)。2つ目の詩は「鶏ポン」。このタイトルは大好きだった学食のメニュー名ですが、「鶏ポン」で得られた至福感と現在抱える漠然とした焦りをつなげて詩にしてみました。

 

朝凪特急

今朝も快晴、いつも通りの電車にのりこむ
鴨方から岡山までの37分は講義中 眠くならないように目を閉じる
誰に席を譲るでもなく寝落ちが許されるのは車いすの特権
目覚めるといつも瀬戸大橋だ

車いすからの車窓は小さくて

空が晴れているか
風は強いか
海は荒れているか ぐらいしかわからない

でもその分 想像の世界は大きく膨らんでいく

凪いだ水面で朝陽が乱反射
その光は白い欄干まで届きはじけとぶ
特急が この光のループに突入すれば

さながら 白銀に輝く魚の大群

僕の朝凪特急は光を集めて 加速する
さあ、新しい朝のはじまりだ

 

 

鶏ポン

当時の鶏ポンの写真ではありません。ごめんなさい。

うちの大学にはミールカードという制度があって
格安の年会費を払えば、1日1回、学食での食事が500円まで無料で食べられた
高校時代 給食だった私にとって 学食は憧れだったから
500円に収まるように工夫して 毎日学食を満喫した

いちばんのお気に入りメニューは「鶏ポン」
鶏肉も皮もごちゃまぜの素揚げにポン酢がしみて
食欲をそそる背徳のうまさ

ライスはMサイズ
これにミルクプリンをつけるのが
私の定番であり至福
ワンコインの 「今・ここ」 に
至福を味わう僕がいた

「足るを知る」ことで幸せになれるというが

あの時の至福を
いまも同じに感じるのだろうか

また鶏ポンを食べてみたいと思う
今日このごろ

 

 

鴨方の自宅から大学がある善通寺までは往復4時間ほどだった。

養護学校から大学に進学し、自分なりの可能性と未来を手に入れた僕だったが
その一方で、自らの身体を受け入れ、生きる技法を身につけることは
「足るを知る」ことに磨きをかける歴史でもあった。

足るを知りすぎ
ぬるい沼に
こじんまりと落ち着いてしまった自分を感じる時もある。

大学からの帰りの電車は宿題と読書にあけくれ、
この時間が、ティーンエイジャーだった僕に壁をぶち破る力を授けてくれた。
大学を終え、次なるフェーズに差し掛かる今
自分に力を授けてくれるものはなんなのか。


人によっては守るものが増え、忙しく働かなきゃならない30代。
淡々と進むしかないことはわかっているが、諦めきれない未来も握りしめたままだ。

足るを知りすぎた30代。この先、どんな橋と扉が待っていて
自分はどんな努力ができるのだろうか。

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