自社発信記事

青空の下、「こども・そざい・みゅーじあむ」へ。遊びと発見、くつろぎの時間

青空の下、「こども・そざい・みゅーじあむ」へ。遊びと発見、くつろぎの時間

風鳴舎「こども・そざい・みゅーじあむ」協賛。

青空の下、「こども・そざい・みゅーじあむ」へ。遊びと発見、くつろぎの時間

風鳴舎「こども・そざい・みゅーじあむ」協賛。

『保育のサウンドスケープ』著者インタビュー 高山静子先生 福田光子先生 全3回【第1回】

『保育のサウンドスケープ』著者インタビュー 高山静子先生 福田光子先生 全3回【第1回】

『保育のサウンドスケープ』著者インタビュー 高山静子先生 福田光子先生 子どもを取り巻く音の風景を知り、園の環境づくりと園内研修に生かすための連載。 第1回 保育にサウンドスケープという新しい視点を 子どもが育つ音の風景を見つめる日本初の本 

『保育のサウンドスケープ』著者インタビュー 高山静子先生 福田光子先生 全3回【第1回】

『保育のサウンドスケープ』著者インタビュー 高山静子先生 福田光子先生 子どもを取り巻く音の風景を知り、園の環境づくりと園内研修に生かすための連載。 第1回 保育にサウンドス...

自分の老後を「自分の課題」として引き受けるために――『自分の介護』

自分の老後を「自分の課題」として引き受けるために――『自分の介護』

老後を「自分の課題」として引き受けるために――『自分の介護』 介護は、ある日突然、家族の問題として訪れる。だが本書『自分の介護』が読者に促すのは、親や配偶者の介護だけではない。いずれ支えられる側になるかもしれない「自分自身」の老後を、まだ体力も判断力もある現役世代のうちから考えることである。 40代、50代は、仕事でも家庭でも責任が重く、老後を遠い先のこととして後回しにしがちな年代である。しかし、介護保険制度、医療との付き合い方、住まい、認知症、金銭管理、家族との意思疎通など、老後に必要となる知識は、いざ必要になってからでは遅い。 本書は、そうした「老後予備軍」に向けて、介護をめぐる現実を過度に脅すことなく、しかし曖昧にもせず、丁寧に整理している。 介護の問題は、個人の努力だけでは解決できない。地域包括支援センター、ケアマネジャー、介護保険サービス、医療機関、自治体窓口など、地域の支援資源をどう使うかが生活の質を左右する。とりわけ東京のように高齢単身世帯が多く、家族関係や住まい方が多様化する都市部では、「家族が何とかする」という前提はもはや成り立ちにくい。本書の価値は、介護を家族内の美談や忍耐論に閉じ込めず、制度と地域を使いながら自分らしい老後を設計する視点を示している点にある。 老後に起こり得る問題は多岐にわたる。身体機能の低下、認知症、入退院、施設選び、財産管理、孤立、介護する側の疲弊、きょうだい間の意見の違い。これらは誰にでも起こり得るにもかかわらず、多くの人は「まだ元気だから」と準備を先送りする。 本書は、その油断に静かに警鐘を鳴らす。介護とは、老いてから始まるものではなく、老いる前に考えておくべき生活設計なのである。 読み進めるうちに気づかされるのは、介護の準備とは、単に制度を覚えることではないということだ。どこで暮らしたいのか。誰に何を頼めるのか。延命治療や認知症への備えをどう考えるのか。資産や住まいをどう管理するのか。こうした問いに向き合うことは、自分の人生の最終盤を他人任せにしないための作法でもある。 本書は、現役世代にとって実用書であると同時に、老後の尊厳を考えるための入門書でもある。行政職員、福祉関係者、地域活動に携わる人にとっても、住民が介護を「わがこと」として考えるための手がかりを与えてくれる一冊だ。 高齢化が進むわが国において、介護は福祉部門だけの課題ではない。住宅、交通、雇用、地域コミュニティ、情報提供のあり方とも深く結びついている。 『自分の介護』は、老後への不安をいたずらに増幅させる本ではない。 不安を、知識に変える本である。 知識を、備えに変える本である。 そして備えを、自分と家族の尊厳を守る力に変える本である。 40代、50代の今こそ、この本を手に取る意味がある。老後は突然やって来るのではない。今日の選択の積み重ねとして、静かに近づいている。その現実を正面から見つめるための、信頼できる道案内である。 詳細、ご購入はこちら。全国の書店でも絶賛発売中 https://fuumeisha.co.jp/products/9784907537661 編集部

自分の老後を「自分の課題」として引き受けるために――『自分の介護』

老後を「自分の課題」として引き受けるために――『自分の介護』 介護は、ある日突然、家族の問題として訪れる。だが本書『自分の介護』が読者に促すのは、親や配偶者の...

戦後の子どもたちを守る活動から70年――愛星保育園が『エトのさがしもの』に託した、愛と平和

戦後の子どもたちを守る活動から70年――愛星保育園が『エトのさがしもの』に託した、愛と平和

絵本『エトのさがしもの』を制作した愛星保育園・村岡恵美子園長インタビュー 新刊絵本『エトのさがしもの』は、東京都港区高輪にある愛星保育園の創立70周年を記念して生まれました。物語を考えたのは、日々子どもたちと向き合う保育士たち。およそ4年にわたり対話を重ね、同園の保育士である、藍 日可る(あいひかる)さんが約40ページの水彩画を一人で描き上げました。  なぜ、一つの保育園がこれほどの歳月をかけて絵本を作ったのでしょうか。その答えは、愛星保育園が70年間守り続けてきた「子どもを真ん中に置く保育」と、愛と平和への願いのなかにありました。園の成り立ちと受け継がれてきた理念、絵本に込めた思いを、村岡恵美子園長に聞きました。 戦後、困難のなかにいた子どもたちを守るために ――愛星保育園は、港区で最も歴史のある私立保育園です。どのように始まったのでしょうか。  愛星保育園の原点は、終戦直後の1945年に始まった学生ボランティアの活動にあります。当時は、生活に困窮する家庭や、学校へ行けない子ども、幼い弟や妹の世話を担う子どもたちが大勢いました。そうした子どもたちを守り、家族を支える拠点をつくりたいと、カトリック教会に集う学生たちが立ち上がったのです。 活動を担ったのは、「聖ビンセンシオ・ア・パウロ会」の学生ボランティアたちでした。各方面から寄せられた少額の寄付を積み重ね、2年余りの準備期間を経て、1956年11月に認可保育事業を開始しました。初代園長も、当時は大学3年生だったと聞いています。 そしてこちらがその後の旧園舎です。 今の新園舎がこちらになります。 園には、創設当時の様子を記録した古いフィルムが残っています。毎年、創立記念日には子どもたちと一緒にその映像を見ながら、「愛星保育園は、困っている人や子どもたちを支えようとした人々の思いから始まったんだよ」と伝えています。現在の子どもたちもまた、その長い歴史の続きを生きているのです。 70年間変わらないもの――子どもを第一に考える ――創立から現在まで、変わらずに受け継がれているものは何ですか。 一番は、「相手を思いやる心を育てること」です。そして何かを決めるときには、まず子どものことを考える。次に保護者のことを考え、職員自身の都合は最後に考える。この順番は、ずっと大切にされてきました。 現在、社会では「こどもまんなか」が掲げられていますが、愛星保育園では以前から、「子育て支援」だけではなく「子育ち支援」という言葉を使ってきました。まず支えるべきなのは、一人ひとりの子どもの育ち。そのために家庭を支え、保護者に寄り添うという考え方です。 保育理念は、「子も 親も 職員も ともに育ち合う」。保育士は保育の専門職ですが、大人がいつも正解を持っているわけではありません。子どもたちの言葉や姿から、私たちが教えられることもたくさんあります。子ども、保護者、職員が互いに刺激を受け、育ち合う関係を大事にしています。 「必要な人に、必要なときに、必要なかたちで」 愛星保育園は創設以来、社会や家庭の変化に合わせ、随時入所や早朝・夜間の延長保育、障害のある子どもや外国籍の子どもの受け入れ、一時保育などに取り組んできました。 延長保育も、事前登録した家庭だけが利用する形ではなく、急な仕事などに対応できるスポット利用を早くから取り入れました。予定外にお迎えが遅れた子どもが、ほかの子の食事を見ながら空腹を我慢するようなことがあってはならない。制度や大人の事情よりも、そのとき目の前にいる子どもに何が必要かを考える――それが、園の歩みを貫く姿勢です。 園全体を「一つの大きなおうち」と考える ――年齢の異なる子どもたちが共に過ごす「混合保育」も、長く続いているそうですね。 創設当初は職員が少なかったこともあり、子どもたちを年齢ごとに分けず、さまざまな年齢の子が一緒に過ごしていました。しかし、そのなかで育つものの大きさに気づき、現在まで大切に受け継いできました。 家庭では、きょうだいを年齢ごとに分けて育てるわけではありません。保育園を「一つの大きなおうち」と考えれば、異なる年齢の子どもたちが関わり合うのは自然なことです。 小さい子は、大きい子の姿に憧れて「自分もやってみたい」と思う。大きい子は、「どうすれば小さい子が喜ぶだろう」「どう教えたら分かりやすいだろう」と考えるようになります。「思いやりを持ちなさい」と言葉だけで教えるのではなく、毎日の関わりのなかで、誰かにしてもらってうれしかったことを、今度は自分が誰かにしてあげる。そうして思いやりは、子どもたちのなかに自然に育っていきます。  「ありがとう」と「どうぞ」が、平和につながっていく 愛星保育園の創設に関わった人々は、戦争や貧困など、大人の都合によって最も大きな犠牲を受けるのは子どもたちだと考えていました。だからこそ、子どもたちに平和を伝えていくことを大切にしてきました。 平和とは、特別な場所だけで語られるものではありません。「あなたと出会えてよかった」と相手の存在を喜び、「ありがとう」と感謝すること。自分だけが前へ出ようとするのではなく、誰かに「どうぞ」と譲ること。そんな日々の小さな行為が、相手を思う心を育て、やがて平和につながっていくのだと思います。 ...

戦後の子どもたちを守る活動から70年――愛星保育園が『エトのさがしもの』に託した、愛と平和

絵本『エトのさがしもの』を制作した愛星保育園・村岡恵美子園長インタビュー 新刊絵本『エトのさがしもの』は、東京都港区高輪にある愛星保育園の創立70周年を記念して生まれまし...

「絵本作家になりたい」――保育士として子どもたちと過ごした4年間が、その夢を一冊の絵本にした

「絵本作家になりたい」――保育士として子どもたちと過ごした4年間が、その夢を一冊の絵本にした

2026年9月15日いよいよ発売 『エトのさがしもの』 絵・藍 日可る(あい ひかる)さんインタビュー  園の創立70周年を記念して生まれた絵本『エトのさがしもの』。絵を手がけたのは、同園で保育士として働く、藍日可るさんです。 絵本作家になることは、藍さんが高校生の頃から密かに抱いてきた夢でした。保育士として子どもたちと向き合う日々のなかで巡ってきた、思いがけない大きな機会。園の絵本制作チームとおよそ4年にわたり話し合いを重ね、一枚一枚の絵を描き上げた藍さんに、夢の原点と制作の舞台裏、作品に込めた願いを聞きました。 高校の美術の授業で出会った、絵本づくりの面白さ ――絵本作家になりたいと思ったきっかけを教えてください。 最初のきっかけは、高校の美術の授業です。先生がカリキュラムに本の制作を取り入れてくださり、さまざまな絵本を紹介してもらいました。そこで絵本の世界の奥深さに触れ、授業の一環で絵本制作の体験をしました。それがとても面白くて。「これが仕事になったら楽しそう」「手に取った人が笑顔になってくれたら素敵だな」と思ったことが、夢の始まりでした。 一方で、将来は人の役に立つ仕事がしたいという気持ちもありました。絵本にも日常的に触れながら、人のために働ける仕事を考え、保育の道へ進みました。大学では福祉を学び、保育士資格を取得。忙しいなかでも、プライベートで油絵や水彩画、デジタルイラストなど、絵を描くことは続けていました。 入職直後に訪れた、夢への大きなチャンス ――『エトのさがしもの』を描くことになった経緯は?  園に入職した際、創立70周年に向けて絵本を作る構想があり、「絵を描いてみない?」と声をかけていただきました。当時はまだ現実味がなく、まずは保育士として頑張ろうと思っていましたが、そのお話が本当に動き始めたんです。私にとって、とても大きなチャンスでした。 エトは、以前から私の中にいたキャラクターではありません。絵本制作チームのみんなで「どんな物語にしよう」「主人公はどんな子がいいだろう」と話し合うなかから生まれました。園が大切にしてきた思いを物語に込め、少しずつエトの姿や動物たちの個性を形にしていきました。   一枚ごとに紙を水張り。約40ページを水彩で描く  ――絵は、どのように制作したのでしょうか。 大まかなラフを描き、同時に水彩画を描くための紙を準備しました。水彩絵の具を使うと紙が波打つため、あらかじめ紙を水で湿らせ、板に固定して乾かす「水張り」が必要です。高校の美術部で先生から教わった方法を思い出しながら、約40ページ分、描くたびに一枚ずつ準備しました。  水張りがしわになり、やり直すこともありました。保育の仕事を終えた夜に作業する日もありましたし、制作のための時間をいただくこともありました。物語を固めるまでに約2年、その後、水張りをして水彩画を描き上げるまでに約2年。園全体で構想を始めてから完成まで、およそ4年にわたる制作になりました。 子どもたちや先生の姿を、動物たちの個性に重ねて ――エトや動物たちの、愛らしく温かな表情が印象的です。 物語には、わくわくする場面だけでなく、誰かに助けてもらう大切な場面もあります。私の中にはモデルとして思い浮かべた子どもや先生がいて、その人らしい特徴を遊び心として絵に重ねました。 かわいらしい子もいれば、おじいちゃんのような雰囲気のライオンもいます。子どもたち一人ひとり違うように、登場する動物たちにも、それぞれの個性を持たせたいと思いました。制作チームで話していると、「この性格は、あの子みたいだね」と園の子どもたちの姿が重なることもありました。 保育士になったからこそ描けた絵本  ――保育の現場で得た経験は、作品にどう生きていますか。 入職したばかりの頃は、子どもたちがどのように絵本を楽しむのか、まだ十分に分かっていない部分がありました。けれど、保育士として経験を重ね、園ではどんな絵本が読み聞かせに選ばれるのか、家庭では親子がどのように絵本を楽しむのかを学ぶことができました。 その経験があったから、子どもたちの姿を生き生きと想像しながら描けたのだと思います。言葉の使い方や表現についても、絵本制作チームの保育士みんなで「こちらのほうが温かいのでは」「子どもにはこの表現が伝わりやすいのでは」と意見を出し合いました。保育士だからこその視点が、絵にも物語にも生きています。 「助けて」と言えることも人とつながるための大切な力 ――この絵本を、どのように読んでほしいですか。...

「絵本作家になりたい」――保育士として子どもたちと過ごした4年間が、その夢を一冊の絵本にした

2026年9月15日いよいよ発売 『エトのさがしもの』 絵・藍 日可る(あい ひかる)さんインタビュー  園の創立70周年を記念して生まれた絵本『エトのさがしもの』。絵を手が...

『弱いはつよい』が現実になった日 ― 二人の笑顔が、たくさんの人の心を動かしたボーダーレス・ランウェイ ―

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